事業承継の巧拙は、お釈迦様が教えてくれている!

「事業承継」とは、何を引き継ぐのか

事業承継というとき、筆者はいつも次のような「世尊拈花」という話を思い出す。

釈迦牟尼世尊が、昔、霊鷲山で説法された時、一本の花を持ち上げ、聴衆の前に示された。すると、大衆は皆黙っているだけであったが、唯だ、迦葉尊者だけは顔を崩してにっこりと微笑んだ。

そこで、世尊は言われた、「私には深く秘められた正しい真理を見る眼、説くに説くことのできぬ覚りの心、そのすがたが無相であるゆえに、肉眼では見ることのできないような不可思議な真実在というものがある。

それを言葉や文字にせず、教えとしてではなく、別の伝え方で摩訶迦葉にゆだねよう」(無門関・西村恵信訳注・岩波文庫45頁) 親が子にいくら教えようと思っても、教えられるのはあくまでも子供のほうである。

親は子供に無用な苦労はかけたくない。

子は子で戦後の教育をしっかりと受け、理屈でわからないと親のことを聞かない。

親のいうことを「古い!」などという。

言葉や文字で伝えられるのは、「事業の真実」ではない。

事業の真実は釈迦牟尼世尊が言ったように、「別の伝え方」でしか伝えられないのである。 それが、巷間言われている「事業承継」というものである。

事業をしようとする者は、事業は自分一代限りと見切るのも良いかもしれない。

事業を子供に継がせよう等という下手な欲がなくなれば、会社経営の手法も変わってくるかも知れない。

しかし、それでは面白くない、という人は上手く自分の事業を承継させるように努力すれば良い。

考えてみれば、事業承継は、武道の達人が弟子にその秘伝の技を伝え、免許皆伝を許すことに似ている。 伝える者も伝えられる者も、その「武道」は○○流として伝わるが、第1代、第2代、第3代・・と時代が下るにしたがって、その流派が続いても、後継者は「開祖」が編み出した「武道」にその時代、その場所、その位置(侍の鍛錬のためにするのか、暗殺術として用いるのか等々)に応じて、自己流の工夫を加えているのである。

それが、承継というものであり、「経営、事業」とて、同じである。武道も、経営も事業もその人一代限りのものなのである。